100年ほど昔からアウトリガーカヌーパドリング(Hoena)はハワイアンにとってもっとも古くから伝わる、愛されるスポーツとして発展した。 スポーツとして確立するよりもはるか昔、およそ2千年前に外洋を渡るのに適した今のハワイのアウトリガーカヌーの原型がPae
‘ainaという人によって開発された・・・と言われている。
ハワイィは地球上で一番活発に活動しているプレートの上に位置する列島で、地理的にも4方を太平洋に囲まれ、全ての大陸から数千キロも離れている。
常に安定した貿易風が吹き、何もさえぎるものがない海岸線が太平洋の大海原に向けてさらされている。大きなうねりや波が押し寄せる海に囲まれて生き抜くには、そこに生きる人間の特別な海の知識と独特の道具(カヌー)が必要だった。
広い底を持つバナナのような形をしたHull部分は、漁にでて獲った魚を入れるために、細くてカーブが付いているのは、岸に戻るときに波に乗りやすくするためのものである。サーフボードの原型がアウトリガーカヌーだったというのもうなずける。

今
でもKoa
(樫の木の一種)ので出来たカヌーはあるが、今の様にFRP製のカヌーが作られる前は、すべてがKoa等の大木をくり抜いて作り、カヌー造りは宗教の儀式
のようなもので、大変崇高なものだった。その時代アウトリガーカヌーは現代で言えば車のような物で、航海する距離によって大小いろんな種類が作られた。
カヌーのHull(本体)2つを2本の木(Iyako)でつなげたDouble-Hull
カヌーや、そのDouble-HullにSailを取り付けた長距離航海用のSailing
Canoe (VoyagingCanoe)等である。戦闘用のカヌーも実在した。

競争、競技としてのアウトリガーカヌーは、獲った魚を彼らのチーフに誰が一番最初に奉げるかを競ったことから始まったといわれている。 レース用のカヌーは貴重でそのカヌーをパドルするクルーも特別な存在だった。
レー
ス用のカヌーは、Hei Hei
Wa’a と呼ばれ、今のレース用のカヌーと殆ど同じようなシェイプだったそうだ。また各村のチーフ達が自分の村の最高のパドラーを集めて今の競艇のよう
に勝敗を賭けたりもしていた。そういうのもあって、強くてスタミナがあるパドラーは村でも手厚く保護されていたとい事だ。
アウトリガーカヌーはハワイの殆どどこのビーチ、海辺に置かれている。
朝、夕、クラブ員が練習のため、カヌーに乗り込み海に出ては帰ってくる姿は、ハワイを観光で訪れた人なら一度ならず何度も見たことがあるよね。

ハワイの子供達は、Hula
と同じように小学校の頃から学校にあるカヌークラブで、ほぼ強制的にアウトリガーカヌーをパドルする。
練習があまりにもきつい為に、大人になったら、もう絶対パドルは嫌だと言って漕がなくなる人もいれば、どんどんのめりこんでいく人もいる。
のめりこんだ男達は、海とカヌーに魅せられすぎて、結婚できなかったり、結婚しても海の方ばかりみているので、離婚される・・という話しを聞く。
海は自然、カヌーも自然、自然の魅力に取り付かれたら奥さんでさえ眼中に入らなくなるらしい。そういう男達を僕は沢山見てきた。
(海男、、、そういえば「山男には惚れるなよ」という歌があったなー。それと同じだ。海男も山男も自然の魅力にとりつかれた同じ人種なのだろう)
ハワイィでアウトリガーカヌーをパドルすると、海のマナ(パワー)と美しさに魅了され、身体的にも精神的にも満たされる。時代が変わり、工学技術の進歩により、自由さと美しさを追求したデザインになっても、古代から伝わる基礎的はデザインにはそれ程変化はない。
この事は昔からの文化を大切に継承し、自然と調和するという精神を大切にしている古代のハワイアンがアウトリガーカヌーに乗せて「人間にとっての本当の幸せ・・・・」を今に生きる人々にメッセージとして伝えてるのだと僕は思う。 |