はじめに、、 僕がいう、サバニは「古式カヌー」のサバニだ。材質はFRPではなく宮崎産の杉を使い、防水の為にサメの油を使用している、転覆防止のアウトリガーも付けてないし、ラダーも無し、ものすごくシンプル。できるだけ祖先と同じ方法で風や波を体で感じて操縦すものなのだ。
まいふな(サバニ)との出会いは運命的でもあった。
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歳になる今まで半分の月日はアメリカで過ごした。そう、アメリカ文化『西洋文化』にどっぷり浸かって過ごしてきたのだ。ポパイを読み、アメリカ文化に憧
れ、カリフォルニアに憧れて19歳で渡米。ビジネスもアメリカで起こし、子育てもアメリカン、全てがアメリカ流だった。
十代で出合ったサーフィンは既にアメリカ流にコマーシャライズされ、二十代でであったトライアスロンも白人中心の競技スポーツとして確立されつつあった。 20
年ほど前に出合ったアウトリガーカヌーも最初のクラブは、ハオレ中心のクラブで、レースに勝つために練習を重ねる、アウトリガーカヌーを競技スポーツとし
てとらえるクルーばかりのクラブだった。違和感を感じ、クラブを転々としている時に、真のハワイアンに出会い、彼らにアロハスピリッツと真のアウトリガー
カヌーのスピリットを教わった。アメリカナイズされた僕には衝撃的で、その後の僕の価値観と生き方を全て変えてしまった程だった。
このHoena
の中でも何度も同じような話をしていると思うけど、ハワイアンは海などの自然を大切にし、感謝をして自然と調和の取れた生活を大切に考えている。ちょうど
昔の日本人と同じだ。だから彼らと一緒にパドルしてると昔からの友、兄弟のような感覚さえ覚え、居心地が良い。 海を舞台とする波乗りや、パドルスポーツ。どれをとっても日本人の僕らは敵わない、彼らこそが偉大な海洋民族なんだな〜と思っていた。そう信じていた。「Hokule’a
の偉業」「カヌー文化の継承」どれをとっても、太平洋のど真ん中で生活するアイランダーには農耕民族の日本人には敵わない・・と思っていた。
そ
んな時に、Hokule’a
が日本に来て、そのクルー達が口々に日本の文化、日本の海の歴史に興味を示し、畏敬の念さえ覚える・・と言う。自分達(ポリネシア人)の祖先は古代の日本
近海に住んでいた海の民ではないかと感じる。というクルーもいたりした。 興味を持ち、色んな文献を調べたり、先輩方に話しを聞いたところ、古代の日本人
(今の日本の沿岸辺りに住んでいた民族)はカヌーを乗り回し、台湾や小笠原、九州を行き来し、遠くはニュージーランド、南米まで航海していたらしい、カ
ヌーは有機物質だから遺跡としては残ってないが、そうとしか考えられないような遺跡がいたるところに残っているらしい。そんなの凄いよ!!
Hokule’a より壮大な航海をしていた海の民が日本沿岸にいたの???と驚くばかり。

そんな時、昨年、Hokule’a
の仲間から“まいふな“クルーにならないか?と声がかかった。サバニ??帆漕レース??何それ??て感じだったけど、あの綺麗なハワイの様な沖縄の海で漕げるなら。モチロン!!と即答した。
そんな僕を座間味島で待っていたのは、日本人である自分の誇り古代の海洋民族を祖先に持つ自分の血統の目覚めだった。
余談だが・・・僕の祖先は長崎の平戸にある小さな島、生月島というところで代々漁師をしていた。(余談の余談だが、僕がHokule’a
で航海してる時、何とこの生月島をHokule’aのデッキから眺めたのだ!感激した。)
生月島は古くは捕鯨が盛んだった島で、僕の祖父もその御爺ちゃんも、遠洋漁業の船乗りである。父は海軍兵学校を出て、戦後、船乗りになり僕が子供の頃は何ヶ
月も船に乗って留守だったのを覚えている。小さい頃から海で遊び、沢山の漁船をみて育った。 そんな、漁民、航海民族としてのDNA, 血統が蘇えったの
だろうか。“まいふな“のあの美しいプロポーションを見て感動し ”まいふな”で海にパドルアウトした時、思わず泣いてしまった!!!
そんなサバニの季節が今年もくる。沖縄の梅雨明けを報せる南からの風カーチベーの到来と共に、太古の記憶が蘇える。僕の血の中に流れる偉大な海洋民族の誇りが蘇える!この思いは、古代の日本民族、海洋民族、そして、ポリネシア、ハワイともつながっていると信じている。
今度ハワイでレースに出る時はもっと日本人としての誇りを胸にパドルできる様な気がするよ!!
サバニに関しては僕よりうんと経験も知識もある海の男、“まいふな“のナビゲーターで、プロセーラーの西村一広さんに文章をお願いしました。ありがとうございます。是非みなさんにサバニの魅力をもっともっと知っていただければと思います。 サバニ帆漕レース公式ホームページ 写真とかめちゃ綺麗だよ!!
http://www.photowave.jp/sabani_s/ |